先日、映画「upside down」http://www.udcrs.net/を観に行こうと思って間に合えばいーかくらいの感じで自転車こいでたら、結局、間に合わなかった。
まあ、それはいいとして、その帰りになぜUKの音楽、特にブリットポップが好きなのか、考えてみたりした。
ブリットポップが画期的だったのは、それまでアンダーグラウンド視されていた、万年野党音楽がオーヴァーグラウンドで勝利したことだ。
それはstone rosesやthe smith、happy mondays辺りから始まったと思う。
その時のイギリス政治といえば、サッチャリズムの終焉期で、その最大の弊害といえば、貧富の格差の大幅な拡大とそれに伴う低所得者層の一層の困窮であった。サッチャー政権は、市場メカニズムが浸透し、「努力すれば報われ、怠けていれば困窮する」競争的な社会システムをつくり上げることで、人々の働く意欲が高まると期待した。
ところが現実には、働きたくても何ら技能も経験もない、いわば競争のスタートラインにすら立てない層が存在し、彼らは改革の痛みを全面に受けたわけだ。
そこにブリットポップ勢が台頭してきた。特にoasisは労働者階級のバンドだったため、ブレア党首の労働党に近づかれた。oasisのノエル・ギャラガーも、この国の若者に希望を持たせることのできる人物としてブレアの名前を挙げたりしてた。
この頃に労働党がイメージアップのためにブリットポップの音楽イベントなどに顔を出して若者に顔を売り、総選挙に勝つわけだ。
それで若者が参政するならそれでもよかったんじゃないかと思う。
と書くと、労働党がバンドを利用して、与党を勝ち取った、となるし、一般にもそういわれている。
sleeperのルイーズ・ウェナーは、ノエルのことを「首相官邸に行った瞬間、去勢された」とか言ってたけど。
実際、セックス・ドラッグ街道を転げ落ち、UKロックシーンを長期的に蘇生させることはできなかった。
しかも政治家に利用され、裏切られた(湾岸戦争に兵士を派遣した)。
てなわけで、否定的な文脈で書くのは簡単だけど、でも逆に、こういったことがあったから、ブリットポップもここまでのムーブメントにならなかったかもしれない、と思ったりもする。そういうところが面白い。ブリットポップに限らず、外国の音楽は政治や社会へのメッセージを歌や音にしてるのもよい。皮肉も交えながら。と個人的に思ったりするわけです。
その辺は10年くらい前の「live forever」がさらりと教えてくれている。
日本でそんなことが起こりうるだろうか?階級制度の名残や国民性もあるし、まあ、ないだろう。
今、日本で誰が売れてるのか、よく知らないけど、若い人に影響力ある人がもっと選挙に行こうって言えば、投票率も上がるんじゃないか。。。
また、貧富の格差の拡大も最近の日本で問題になってたりしてる。
今や世界2位の格差国だと聞いたこともあるけど。
upside downは1000円の日に観に行こう。
2011年10月27日木曜日
2011年10月19日水曜日
LIVE RESURRECTION
The Stone Rosesの再結成が正式にアナウンスされた!
複雑な気分もあるけど、素直に喜んだ方がいいと思う。
このブログのタイトルもrosesからとったもの。
Oasisもrosesがなければ生まれてなかった。
アルバムは2枚しか出してないけど、その影響力はすごいものがある。
再結成の写真も、よい。
http://www.thestoneroses.org/
The Stone Roses are back! How fucking amazing is that?
複雑な気分もあるけど、素直に喜んだ方がいいと思う。
このブログのタイトルもrosesからとったもの。
Oasisもrosesがなければ生まれてなかった。
アルバムは2枚しか出してないけど、その影響力はすごいものがある。
再結成の写真も、よい。
http://www.thestoneroses.org/
The Stone Roses are back! How fucking amazing is that?
2011年10月17日月曜日
石と薔薇
http://
ここ数日、大好きなstone rosesのリユニオンの噂がネットでも流れ続けてたが、今まで通り、噂で終わると思ってた。
が、今回は違いそうな感じ。
しかし、復活して成功したバンドもなかなかいないと思うと複雑ではあるが・・・
とりあえず、明日の正式な会見を待とう。
2011年10月11日火曜日
ビワイチ
昨夜、急に思い立ったビワイチ。
琵琶湖1周のことである。
朝起きれたら行こうと決めて床に着いたら、珍しくちゃんと起きることができた。
前回は京都から乗っていったけど、帰りも遅く、浜大津から自転車で京都に帰るのがつらかったので、今回は堅田まで車に乗せて、琵琶湖大橋西詰からスタート。家出て間もなく猿の大群がいた。
通勤ラッシュになるまでに浜大津まで行かなければとの気持ちで乗り始めたが、意外に道もすんなり行けた。
瀬田の唐橋まで行かないとほんとの1周とは言えないけど、夕方病院に行かないといけなかったので、近江大橋を渡って琵琶湖大橋東詰に向かう、というか、木之本までは比較的平坦で、トラックも多いので、スリップストリームにも入れるし、かなり楽に行けた。
この時点で112キロ、3時間30分、アベレージは30.5キロ。
ここからアップダウンがが始まる・・・
楽とはいえ、112キロもこいでるので疲労は個人的には相当なもの。
登りは悔しいけどへとへとになった。自分では頑張ってこいでるのに、サイクルコンピュータ見たら全然数字が上がらない。
どころか、アベレージが減っていくし、とにかく20キロ台になったらまた戻す体力はたぶんないと思ったんだけど、なかなかペダルも回らず、歯痒かった。
湖周道路に入っても車は少なく、ひっぱてくれない。おまけに微妙な登りで30キロ出ないし、アベレージは30キロになってしまった。
ここから161号線に入ったので、ある程度車に引っ張ってもらうことができ、30キロと30.1キロを行ったり来たり。
何とか30.1キロで琵琶湖大橋まで戻ってくることができた。
でスイッチを押そうとしたら、その瞬間30キロに。
まあ、30キロの目標は達成できた。
164.96km 5時間26分39秒(実走時間)。
帰って病院行って帰ってきたら暗くなってて、やたらデカい犬がおるな・・
と思ったらシカだった!今日だけでサルとシカに会うとは・・・うちは動物王国やな。。
琵琶湖1周のことである。
朝起きれたら行こうと決めて床に着いたら、珍しくちゃんと起きることができた。
前回は京都から乗っていったけど、帰りも遅く、浜大津から自転車で京都に帰るのがつらかったので、今回は堅田まで車に乗せて、琵琶湖大橋西詰からスタート。家出て間もなく猿の大群がいた。
通勤ラッシュになるまでに浜大津まで行かなければとの気持ちで乗り始めたが、意外に道もすんなり行けた。
瀬田の唐橋まで行かないとほんとの1周とは言えないけど、夕方病院に行かないといけなかったので、近江大橋を渡って琵琶湖大橋東詰に向かう、というか、木之本までは比較的平坦で、トラックも多いので、スリップストリームにも入れるし、かなり楽に行けた。
この時点で112キロ、3時間30分、アベレージは30.5キロ。
ここからアップダウンがが始まる・・・
楽とはいえ、112キロもこいでるので疲労は個人的には相当なもの。
登りは悔しいけどへとへとになった。自分では頑張ってこいでるのに、サイクルコンピュータ見たら全然数字が上がらない。
どころか、アベレージが減っていくし、とにかく20キロ台になったらまた戻す体力はたぶんないと思ったんだけど、なかなかペダルも回らず、歯痒かった。
湖周道路に入っても車は少なく、ひっぱてくれない。おまけに微妙な登りで30キロ出ないし、アベレージは30キロになってしまった。
ここから161号線に入ったので、ある程度車に引っ張ってもらうことができ、30キロと30.1キロを行ったり来たり。
何とか30.1キロで琵琶湖大橋まで戻ってくることができた。
でスイッチを押そうとしたら、その瞬間30キロに。
まあ、30キロの目標は達成できた。
164.96km 5時間26分39秒(実走時間)。
帰って病院行って帰ってきたら暗くなってて、やたらデカい犬がおるな・・
と思ったらシカだった!今日だけでサルとシカに会うとは・・・うちは動物王国やな。。
2011年10月5日水曜日
上高地からの登山。
高校の時に涸沢岳に行ったきりで、なんか、その時は登らされた感もあってか、それが理由ではないかもしれないけど、行く機会に恵まれなかった。 それ以来の上高地。
平日の早朝で河童橋も人はいなかった。
7:00すぎに出発。
岳沢を登る。岳沢小屋までは急登もなく、比較的楽だった。
目標の奥穂高を見上げると、深海にすむ、巨大なタコのようにでかい。
たくましい生命力。いろいろな形が目に入ってくる。
切っても切っても足が生えてくるし、心臓がどこにあるかもわからないので倒せない。
そんなくらい頂上は遠くに感じた。
重太郎新道から紀美子平は真夏の天気。
行きかう人のほとんどに「これからですよ~」
とビビらされながら。。。
吊尾根は滑落しそうな斜面をトラバースしたり、軽いクライミング的な要素もあって面白かった。
登ってる最中って、いろんな記憶が、というかずっと長い間忘れてたようなことがパッと思い出されたりする。
役にも立たない、しょうもないことを記憶の引き出しに入れてるもんだと思った。それはなかなか面白かった。
頂上から見る、槍やほかの穂高連峰も、何かを守っている兵士のようだ。
南アルプスの連峰より男性的な感じがした。
穂高岳山荘に着いたのは17:00すぎ。受付でチクリ遅いと言われた(笑)
予定通りいかない時もある。
頂上から小屋に降りる途中の夕日は心打たれるものがあった。
翌日は今年お約束?の雨。白山もそうだった。
ガスで涸沢カールもよく見えなかったけど、登山道も川のようになってたけど、雨の中の歩行も悪くない。
他の人たちもそれなりに雨を楽しんでいるようだった。
ただ、シェルのベンチレーションをあけっぱにしてて、気づかずそこから雨が侵入したようで、腰回りが濡れてしまい、寒かった。
帰りは時間通り、けがもなく、無事に帰ってこれた。
17、8年ぶりの北アルプスは、また来たいと思わせる魅力に満ちた山々だった。
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